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先日インドネシアについて書いたので、ついでといってはなんですが、東ティモールについて書きます。 高山正之さんの新潮の「変見自在」を参考にしています。(というか大雑把にまとめているだけです) 第二次大戦が始まると、オランダは中立を宣言するも、ドイツは無視してオランダに侵攻し、占領する。 ウィルヘルミナ女王はロンドンに亡命し、亡命政権を樹立。 しかし女王は亡命後もインドネシアから搾取を続ける。 日本が仏印南部に駐留すると彼女はインドネシアの日本の資産の凍結を宣言。その4ヶ月後、日本は米英に宣戦布告する。 無視されたことを怒った彼女は日本に宣戦布告するも、日本の砲がスバラヤの要塞に届く前に降参。 バントンの要塞も日本兵2千人に対し、オランダ軍は8万人いたが1週間で手を挙げる。 オランダはまだ日本軍の影が見えないとき、日本が定期航空便を飛ばしている東ティモールに攻撃を仕掛ける。 そこは中立国ポルトガル領だから、国際法違反になるとポルトガル総督が抗議するも、抗議を無視して日本航空職員31人を拘束する。 日本政府は救出のため、ポルトガル政府に許可を得て、第38師団を上陸させる。(朝日新聞の見解では日本が東ティモールを侵略したとして、そう書く) この島の守備はその48師団が引き継ぐが、彼らは宗主国ポルトガルが原住民の反乱を恐れてか、道路も作らず、島民のための学校や病院もなく、首都ディリでさえ商店もない、ニッパヤシでできた小屋に住み、階下にブタを飼って(餌は人糞)生活している島民を目の当たりにした。(彼らの財産は豚と石器と火打石) 島民は日本軍がきて白人を追い立てるのを見て、ポルトガル人を襲い始める。 日本は総統らを保護し、そのかわり島民を縛っていた人頭税を廃し、島民に課していた使役も廃止する。(後藤乾一早大教授や倉沢愛子慶大教授によると、日本軍は島民を虐待し、略奪し、殺したとの見解で、そう書く) 戦後日本軍が去るとこの島は再びポルトガルの支配される。 男はまた使役が課され、女性は美人だと慰みものにされりした。 生まれた混血児に宗主国の国籍に名前、教育と武器も与えた。 やがて特産物もない島の約400年続いたポルトガルによる支配も、経費的に苦しくなり、維持できなくなった。 ポルトガルの手放したこの島をインドネシアが面倒をみることになった。 年間2千万ドルをつぎ込んで、西ティモールと同じく学校や病院が建てられ、道路も整備され、住宅の建て替えもおこなわれた。 しかし白人国籍を持つ人たちはオーストラリアと組んで独立を果たした。 朝日新聞の矢野英基記者はコラムで警官が商店主にたかってみかじめ料を取っているのはインドネシア併合時代に根付いた慣行で、こういう負の遺産は早く処理しろ、とこの島の様子を書いている。 |
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